活動の報告

「被爆者の願いを継承する岐阜県民の会」第11回運営会議が開催されました。【26.2.12】

 2026年2月6日(金)、岐阜市のハートフルスクエアGにて「被爆者の願いを継承する岐阜県民の会」第11回運営会議が開催され、代表世話人をはじめ団体・個人会員29名が参加しました。会議は堀美奈子さん(コープぎふ)の進行のもと、平和を願う思いを共有し、これからの活動を力強く進めるための意見交換が行われました。

■ 代表挨拶(安藤征治さん)
 冒頭、代表世話人の安藤征治さんより開会挨拶がありました。この中では、目前に迫る衆議院選挙と社会情勢について、「どの政党が多数を得ても、公約のすべてが信任されたと解釈してはならない」との意見があり、防衛費拡大や非核三原則見直しなど、軍事化が加速する流れに強い懸念が示され、核兵器問題が選挙でほとんど議論されていない現状を「危機的」と捉える必要性が述べられました。
地域の公民館で開かれた「被爆者の声を聴く」講座では、30~40名が参加し、多くが「初めて知る事実」に衝撃を受けたことが報告されました。さらにNHK「映像の世紀」で紹介された、ジョー・オダネル撮影「焼き場に立つ少年」の映像に触れ、戦争の実相を語り継ぐ責務が強調されました。

■ 2025年度活動報告
 続いて、事務局を代表して佐藤圭三さん(全岐阜県生協連)から、2025年度の活動報告が行われました。
①被爆証言の記録
被爆者の証言映像を5分程度に編集し蓄積する取り組みを継続。2025年度は宇田茂樹さんの証言を収録し、累計19名となりました。県図書館「ぎふ平和の祈り」展でも上映され、映像活用が進んでいます。
②すべての国に核兵器禁止条約の批准を求める署名活動
名鉄岐阜駅前での街頭署名を中心に取り組み、2025年は9,459筆、累計88,169筆を日本被団協へ提出。参加者減少が課題で、さらなる協力が呼びかけられました。
③学習・啓発活動
岐朋会の歴史を学ぶ会議や、学校・地域団体への講師派遣を多数実施。10月には川崎哲氏(ピースボート共同代表)を招いた講演会を開催しました。
④会員拡大
会員同士の呼びかけにより、2025年は個人会員32名が新規加入。現在は団体会員13、個人会員69名となりました。
⑤岐朋会支援・連携活動
「原爆と人間展」の会場設営、慰霊祭への参列、県知事・教育長との面談など、岐朋会の活動を継続支援。
また、岐阜県ピースアクション連絡会の活動(平和新聞づくり、平和行進、被爆ピアノコンサート等)にも連携して取り組みました。

(1) 参加報告「日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める署名共同提出のつどい」
  河原洋之さん(岐阜県原水協)、中村由美子さん(岐朋会)

 昨年11月21日の「署名共同提出のつどい」に参加した河原さんは、会場に満ちていた強い緊張感と熱気を印象深く語られました。冒頭、日本被団協・田中煕巳代表の「核兵器は悪魔の道具。日本はその道具に守られるつもりなのか」という言葉に深い衝撃を受けたとのことでした。その後、署名総数 3,449,012筆 が発表され、壇上には署名箱が積み上がり、被爆者が後ろ向きに並ぶ象徴的な写真が撮影されました。参加者は 3,311名。河原さんは「三団体が共同提出した歴史的な瞬間」と強調されました。
 続いて第二議員会館前で約700名が行動。被団協の“今年の本気度”を強く感じられました。特に長崎の横山さんの発言──1974年の国連提出、1978年の軍縮特別総会、日本の席に折り鶴しかなかった悔しさ──は胸を打つもので、「今こそ署名・批准の時」という訴えの重さを全員が受け止める必要があると紹介されました。


 中村由美子さんからは、被爆二世として初めて署名提出に参加した時の衝撃が語られました。会場は86歳前後の被爆者が自らの足で続々と席に座り、支援者も含め熱気に満ちていたそうです。中村さんは“被爆イネ”(80代目)を壇上に持参し、爆心地800mで発芽した稲で、半分が空もみになる特徴をもち、被爆の影響が世代を超えて続く現実を象徴しています。壇上に積み上がる現物の署名箱を見て「これほど多くの人が動いたのか」と感動する一方、ビキニ被曝事件時の34万筆に比べ「まだ10分の1」と、世論形成の難しさも感じたと話されました。提出後は段ボール箱の搬送作業を行い、「市民が声を国へ運ぶ行為そのもの」だと実感。また、軍備増強や政治の右傾化に強い危機感を述べ、「今こそ手をつなぐ必要がある」と訴えられました。
 さらに、岐朋会への証言依頼が増え、親子連れの参加、大学生の平和企画など、若い世代の動きに希望を見いだしている。「核兵器の恐ろしさはまだ知られていない。だからこそ語り続けたい」と締めくくりました。

 さらに、岐朋会への証言依頼が増え、親子連れの参加、大学生の平和企画など、若い世代の動きに希望を見いだしている。「核兵器の恐ろしさはまだ知られていない。だからこそ語り続けたい」と締めくくられました。

(2)「被爆の証言」宇田茂樹さん

 続いて、岐朋会(岐阜県原爆被害者の会)副代表の宇田茂樹さんから「被爆の証言」のお話を聴きました。胎内被爆者としての体験談等が語られ、偶然の積み重ねで生き延びた体験、原爆投下直後の惨状、そして“見えない放射線の恐ろしさ”を伝えるため育て続ける被爆イネの話が紹介されました。
 胎内被爆者である宇田さんは、長崎で母の胎内にいたまま被爆した体験を語られました。生き延びた理由は母親が偶然、親戚宅に泊まったためで、翌日原爆が投下された自宅周辺は全滅していたそうです。母親は閃光を見て畑に飛び込み火傷を免れ、父親は小倉に配置されていたが天候の偶然で命が助かったそうで、こうした偶然の重なりが自身の生存につながったと語られました。
 長崎では爆心地周辺が瞬時に火の海となり、家屋倒壊や高温の熱線、汚染された水による多数の死が発生。外傷がない被爆者が数日後に急死するなど、当時は原因が分からず、後に放射線障害だと判明した。両親も早くに亡くなり、「生き残った自分には原爆を伝える役割がある」と述べた。
 2011年の東日本大震災時の原発事故後には、放射能の恐ろしさを問われたことをきっかけに“被爆イネ”の栽培を始められました。爆心地近くで発芽した米を九州大学が育て続けたもので、実の半分が空もみになるなど遺伝的損傷が続いていることを示しています。現在もプランターで育て、見えない放射線の影響を伝える象徴となっています。
 また、ご自身も膝の障害など、放射線由来の可能性を否定できない身体の影響を感じていると語り、最後に「核兵器も戦争もない世界を実現したい。皆で力を合わせてほしい」と呼びかけがありました。

その後は、6グループに分かれ、「すべての国に核兵器禁止条約の批准を求める署名運動」の継続について交流しました。

■ 閉会挨拶
 最後に、代表世話人の古川秀昭さんから、「選挙情勢をめぐり重い気持ちを抱える中でも、一人ひとりの意識が未来を変える力になる」とのメッセージが述べられました。軍備増強が進む社会状況や、声を上げづらい職場環境への危機感に触れつつ、「小さな行動でも続ければ必ず道が拓ける」と力強く呼びかけました。最後に、「署名する人は“良い人”という空気を社会に広げていこう」と締めくくられました。

会議後にはJR岐阜駅北口で第36回街頭署名を実施し、10名の参加で15筆が寄せられました。今後も会として、核なき世界をめざし、市民とともに歩み続けます。

★街頭署名の詳細はこちらから