活動の報告

かけがえのないこの時を未来の平和に。第34回「岐阜県原爆死没者慰霊祭」に参列しました。【投稿日26.9.14】

会場の様子。祭壇には150名の死没者の遺影が飾られました。

2026年9月13日(日)、岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)主催の第34回岐阜県原爆死没者慰霊祭が岐阜市の円徳寺会館で執り行われました。この慰霊祭は、岐阜県原爆被害者の会(岐朋会)が主催し1993年から毎年開かれています。今年は遺族や関係者ら約50人が参列しました。

岐朋会事務局長の福田義男さんの司会で始まり、同会副会長の宇田茂樹さんの開会挨拶に続き、全員で黙とうを行い、亡くなられた方々の御霊に深い哀悼の意を捧げました。その後、岐朋会の西田詩津子会長、岐阜県の江崎禎英知事(代読)、岐阜市の柴橋市長(代読)、被爆者の願いを継承する岐阜県民の会の安藤征治代表世話人から、慰霊の言葉がおくられました。また、この日参列された岐阜県議会の中川裕子議員からも来賓として慰霊の挨拶が述べられました。

慰霊の言葉 西田詩津子さん

西田さんは、主催者を代表して参列者や支援者への感謝とともに、広島・長崎への原爆投下で亡くなられた方々と、被爆の後遺症で苦しみながら亡くなられた方々へ哀悼の言葉をおくられました。被爆から81年が経過した現在も、被爆者は自らの苦しみや体験を通じて「戦争の悲惨さ」と「核兵器の恐ろしさ」を訴え続けてきたこと、また、一昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞を喜ぶ一方で、全国でも岐阜県でも被爆者の高齢化が進み、体験を直接語れる人が減っていることへの危機感が示されました。
また、世界各地で今なお戦争や紛争が続いている現状に対し、多くの命が失われることへの憤り、日本国憲法第9条を守り、核兵器や原子力に依存しない社会を目指し、生かされた命を通じて被爆者の体験や苦しみを次世代に伝えたい、先輩被爆者から聞いた話を若い世代に伝え続けたいとの決意が述べられました。

慰霊の言葉 安藤征治さん

安藤さんは、被爆から81年を迎えた今年の慰霊祭に際し、原爆による犠牲者を追悼するとともに、被爆者が長年訴え続けてきた「二度と被爆者をつくらない」「核兵器をなくす」という願いを受け継いでいくことの大切さを語られました。日本被団協のノーベル平和賞受賞は朗報である一方で、世界では今なお戦争や核の脅威が続いており、その願いが十分に実現していない現状に強い危機感が示されました。また、被爆者の高齢化が進む中で、この問題は被爆者だけでなく、被爆二世、三世を含むすべての人々が向き合うべき課題であると指摘されました。さらに、長崎で被爆した歌手・美輪明宏さんの「愛こそが戦争を防ぎ、あらゆる問題を解決する鍵である」という言葉を紹介し、人と人とのつながりや思いやりを大切にしながら、平和を守る活動を続けていきたいと述べられました。

遺族挨拶 石原樺歩さん

続いて、遺族を代表して、今月(9月)ご逝去された岐朋会第4代会長、梅岡昭生さんの孫の石原樺歩さんから、祖父の梅岡さんを偲び、遺族を代表して挨拶がありました。梅岡さんは長年にわたり岐阜県原爆被害者の会の活動に尽力し、被爆体験や戦争の悲惨さ、平和の大切さを伝え続けてこられました。一方で家族にとっては、健康づくりや椎茸栽培の知識を地域に広める活発で親しみやすいおじい様でもあり、その姿から戦争体験者であることを忘れてしまうほどだったと振り返られました。幼い頃に祖父から贈られた原爆を題材にした絵本を通じて、その体験の重さに触れたことが強く印象に残っていること、また、梅岡さんは多くを語らなかったものの、岐朋会の活動を通じて平和への思いを次世代へ伝え続けていたのだと感じていること、さらにはご自身も仕事や人生の節目に梅岡さんから温かい応援を受けたなどいくつかの思い出が紹介され、「被爆者として平和のために生きた祖父の歩みを誇りに思い、その思いを受け継ぎながら平和について考え続けていきたい」と決意が述べられました。

最後に全員で献花を行い、犠牲者のご冥福をお祈りしました。

広島と長崎への原爆投下から81年が経ち、被爆者の平均年齢も87歳を迎えました。慰霊祭の終了後、有志の方による座談会・懇談会が開かれ、本日の感想の交流とあわせ、来年6月に日本被団協が組織継続の是非について結論を出すことについての意見交流も行われました。

平和をめぐって世界では深刻な状況が続いています。一方で、被爆者の皆さんと共に過ごせる時間が着実に短くなっていることを、私たちも活動を通じて実感しています。被爆者の方との貴重な時間を無駄にせず、平和について学び、考える場を増やし、一人ひとりの平和への願いや行動の輪を広げていくことの大切さを、例年以上に強く感じた今年の慰霊祭でした。

今年も、岐阜県生協連からメッセージをおおくりしました。